チベット旅行記(河口慧海)

 図らざりき、私がネパールにおいて最大有力なる知己を得んとは。これまた仏陀の妙助であると感謝しました。その翌三月十日頃までは書物はこの国の図書館長が買い集めてくれますから、私は別段用事もない。それかといって余りあちこち見に歩くのも疑いを受ける種を蒔くようなものですから、殊更に司令長官に願いを出して龍樹ヶ岳に登ることを許された。龍樹ヶ岳の光景は詳しく言う必要はない。ここは龍樹菩薩の修行地また釈迦牟尼如来が因位の説法をせられた所でありまして、その説法せられた山の頂上には小さな卒塔婆が立ってあり、そこから三里ばかり降りますと龍樹菩薩の坐禅せられた窟があり、この窟で大乗仏教の妙理を観察せられたのであります。また古来の伝説に龍樹菩薩が龍宮に降って大般若の妙典を得て来たという穴はやはり岩で蓋がしてある。其穴は巌窟の少し東の山間にあるので、即ち尸棄仏陀の塔の横に在る家の中に在るのですが、この穴は十二年に一遍ずつしか開けられない。  そもそも龍樹菩薩は大般若経の妙理について、如来の説かれた小さな原本によってその説を敷衍するためこの窟に坐禅せられたので、その坐禅の有様を形容して龍宮に入ったというのか、あるいはまたその外に宗教上不可知的の真理があって坐禅の上であるいは他の世界の仏典を得て来たのか、これは未定の問題でありますけれども、大乗は釈迦牟尼如来の説かれたものであるということはチベット語にて伝わって居る龍樹菩薩の伝記によっても分ることであります。  で龍樹ヶ岳から帰りましてその夜は龍樹ヶ岳に登るの賦を作り、それから真妙純愛観ならびに雪山にて亡き父を弔い、在せる母を懐うというような歌を作るのを仕事にして三月十日頃まで過ごしました。こういう事でもしなければ外にどうもしてみようがない。地理や何かの取調べをすれば直に疑いを受けます。私は何も疑いを起されてまでその国情を取調べにゃあならぬという必要はないから、まあ自分の好きな仕事をして居りました。